阪神・淡路大震災20年 「終の住処」を守るたたかい ~弱者に5度目の危機迫る~
阪神・淡路大震災20年「メモリアル集会」での、借上げ住宅協議会代表・安田秋成さんの報告です。
震災で(近代技術都市)は、もろくも崩壊した。
家屋の全・半壊は457905世帯に及んだ。
1996年5月に「公営住宅法」が改正され、公営住宅整備に借上げ、買取りの方法が導入された。
借上げ住宅は、当初、兵庫県下8000戸だった。
1.上意下意の張り紙
「パールハイツ荒田」に入居した人たちは、
「まちの中に住めて、ええとこや」「今夜あから安心して寝れる」と喜びの声をあげた。
周りは見知らぬ人だが、死ぬまでつきあう人たちだと親しみがわいた。
そして10数年、深い付き合いではないが、それとなく「見守り」あう仲となった。
2010年9月「パンフレット配布について」の紙が張り出された。
夕方になって「転居通知」と気づいた人が、「大変やー」と大声を上げ住民が集まった。
「マネージメント計画とは何やて」「ここから出ていけ言うのか」と騒ぎになった。
通告は「借上げ住宅の今後の扱い」と、まるで犬や猫みたいに書いてあった。
住民全員が「20年たったら転居」なんて聞いていない。
まさに「寝耳に水」で不安、動揺が広がった。
2.移転の不安が死を招く
「パールハイツ荒田」は、4階建て24軒。
移転通知を受けたこの4年間に11人が死んでいる。
高齢者が多かった2階6軒で5人が亡くなった。
201号室の女性は、週2回の生ごみの日は、シルバーカーを押して出てくる。
転居について「私の寿命は後4、5と思う。ここで死ねたら幸せです」と言い、
2013年3月に92歳で亡くなった」
202号室の女性は活動的な人だった。
「ここが終の棲家」と言っていたが、脳出血で倒れ、後遺症は軽かったが認知症が出て、
病院で2010年12月末に亡くなった。
203号室の女性は、移転問題で病気が悪化し、
入退院を繰り返し2014年6月に85歳で亡くなった。
205号室の男性は、2012年3月に80歳で、
206号室の女性は、2013年3月に82歳で亡くなった。
301号室と302号室の男性は、閉じこもり、人を拒否していた。
「敬老の日」に、町内会が配る赤飯も受け取らない。
洗濯物が3日間干しっ放しで、心配し訪ねると、
「人のことはほっとけ」「用もないのにピンポン押すな」と怒鳴る。
移転については「わしはここで死んでやる」。
302号室の男性は、2014年1月に84歳で、
301号室の男性は、82歳で亡くなった。
つつましく、ひっそりとした暮らしを「移転問題」が突き崩した。
神戸市長は心が痛まないのだろうか。
3.期限までに死にたい―私の願い
K・Mさん(女性79歳)が暮らす「フレール新開地3丁目」を訪ねるが留守だった。
1階で開かれていた月1回のふれあい喫茶「絆」は活気にあふれている。
「Kさんは10時半に来ます」と教えてくれた。
Kさんは10年前、夫が亡くなり一人暮らしだ。
震災の後遺症で5ヵ所の医院に通っている。
重いものは持てない。
買物は牛乳と豆腐で1回、大根で1回、白菜4分の1とほうれん草で1回と、数回に分けて買う。
スーパーも、医院も近くなのでどうにか暮らせる。
年金5万円の生活、下着類は亡夫の物を自分で仕立て直して使う節約の生活。
期限の5年後、84歳11ヵ月、神戸市の言う85歳に1ヵ月足りない。
「助けてください」と神戸市議会に陳情したが、「審議打ち切り」の通知があり失神した。
「私は期限までに死にます。これが私の願いです」
4.ブラック行政か!神戸市は
K・Mさん(男性64歳)は、障害者1級、両上肢機能を失い、首、脳が硬直し、激痛区苦しむ。
右目失明、その上、脊椎小脳変性症があり、介護5で苦痛に耐えて生きる毎日である。
大震災後「フレール長田室内」1階の障害者住宅に夫婦子ども2人の一家4人で入居した。
2011年頃から神戸市職員2人連れが「移転勧告」に来た。
ここに住みたいと言うのに、
「URになれば家賃3倍以上」「長田区に4部屋ある住宅が1軒だけある」
「今なら移転支度金30万円出る」「無くなったら終わりだ」と迫った。
根負けした承知した。
移転先は、長田北市営住宅14階。
トイレ、風呂は自費改修、廊下は狭く車椅子で一杯で他の人は通れない。
「火事や地震があったら逃げられない」と訴えると、
神戸市職員は「自分の命は自分で守れ」と笑いながら言い放った。
「ここでは生きられない」と神戸市長に嘆願したが、冷たく断られた。
借上げ住宅協議会は「Kさんを元の住宅に返せ」と交渉したが、聞く耳は持たず、
市長は議会答弁で「本人が承知した。職員は親切、丁寧に努めていることに感銘した」と冷酷である。
日本共産党神戸市会議員の追及にたじたじしながら、
自民党、民主党、公明党の市会議員に支えられ、強引に通している。
Kさんは重度障害者1級で介護5であり、現在の基準では継続入居の対象者であり、
住んでいた「フレール長田室内」は2014年春、URから神戸市が買い取った。
Kさんが住んでいた部屋は、今でも空き部屋になっている。
5.一人では生きられない
K・Mさん(女性63歳)は全盲で、
東灘区の「シティーコート住吉本町」で、盲導犬ウリエルと暮らしている。
全盲の夫と苦労して「店舗付住宅」を購入したが、10ヵ月後の阪神・淡路大震災で全壊した。
幼児2人と全盲の親は避難できず、軒端にうずくまって過ごし、
2日後に夫は寒さで亡くなった。49歳だった。
幼児2人を抱きかかえ、途方にくれたが
「子どものため、夫の分まで生きるのだ」と、自らを励ました。
3年間に30回以上、市営住宅に申し込み、現在の住宅に入居できた。
わずかなマッサージ収入と、月8万円の障害年金で2人の子どもを育てた。
健気なKさんの姿に、近隣の人たちの温かい支援の輪ができていた。
子どもたちは独立し一人暮らしだが、
不安もなく、穏やかな人生を過ごせると思っていたのに、神戸市から突然の転居通知を受けた。
「ここでなければ私は生きられない」、
崩れ落ちるように座り込んだKさんに、ウリエルが寄り添い一声吠えた。
その声に、活を入れられた。
借上げ住宅の仲間と支援者と立ち上がった。
東京・永田町の大臣室で中川正春担当大臣に直訴した。
2013年3月末、神戸市は85歳以上と、重度障害者の継続入居を認めると発表した。
「いざという時、助けて下さる人たちが移転したら、誰が私を助けてくれるの?」
10数年かかってできた人のつながりを、絶対壊してはならない。
継続入居希望者全員が住めるように,Kさんとウリエルのたたかいは続く。
2015年9月、西宮市の「シティハイツ西宮北口」が期限となり、
2016年1月に神戸市兵庫区の「キャナルタウン」が期限となる。
大震災時、行政は高齢者、障害者、母子家庭を弱者と呼び、復興住宅の抽選で優先権を与えた。
弱者は震災で死に、避難所で死に、仮設住宅で死に、復興住宅でも死んだ。
4度の危機を乗り越えた弱者に、
5度目の危機が迫り、終の住処を守るたたかいは、新たな段階を迎えている。