2015/06/12 更新

「産業革命遺産とナショナリズム」に思う

今朝(6月11日)、ワイドショーで見た。

日本の産業革命期の遺産(長崎・軍艦島、グラバー邸など23件)の

世界遺産登録を韓国が切り崩しにかかっているというもの。

韓国側の主張は

「そこで強制労働が行われていたことを説明文で明らかにしてほしい」というのに対し、

日本側は強制労働の時期と登録理由(評価されている)時期が違うと、

日韓の事務レベルの話し合いでは平行線である。

例えば、軍艦島の炭鉱は1972年まで採掘されていた。

明治期だけのものではない。

ならば、採掘開始から閉山までの歴史を説明したプレートを設置することに

なんら問題はない。

そこに、強制労働の事実があるなら、

日本人としてもちゃんと知っておくべきことで、韓国側の主張に理があると思う。

 

昨年、富岡製糸工場が世界遺産に登録されて沸き立っていた。

ワイドショーも取り上げ、1時間近く、官営として始まったこと、

フランス人を教師として機械式繰糸が指導され、

そこで働いていた乙女が全国の製糸場の教師として派遣されたこと、

そして、自然光なので7時15分~16時15分の

8時間労働が守られていたことなどを説明し、

コメンテーターも

「日本初の製糸場が、この時代に世界に先駆けて8時間労働をしており、

そこで育った人が教師になって全国の大勢に技術を教えていたって、

なんて素晴らしいんでしょう」を語った。

テレビを見ていた私も、

「へぇ、『女工哀史』なんていうけど、官営はちゃんとしていたのか」と思った。

しかし、図書館で『富岡日記』を借りてと読むと、

8時間労働が守られていたのは、

フランス人教師が直接教えていた最初の数年だけだとわかった。

部屋も最初は、1人1畳だったのが、工女が増えてくるとそれもままならないし、

病気の者も出た。 

「何が怖いと言って、罰(罰金のこと)ほど、怖いものはない」と工女は述懐する。

絹糸を失敗して糸が切れたり、不良品が出ると、

罰金として給料から差し引かれた。これは出来高賃金をあらわす」。

 

今、観光局が世界遺産富岡製糸場に押し寄せています。

しかし、その中で、工女の歴史とどれだけの人を知っているのだろう。

私は、まだ見学していないが、どれほどの説明がされているだろう。

日本の産業革命の時代は、同時に富国強兵の時代でもあった。

やはり、「発掘」「技術」などの誇らしい面だけでなく、

それを支えた人々の労働の姿を伝えてこそ世界遺産だと思う。

日清(1894~95)、日露(1904~05)戦争の戦費調達のため、

外貨が必要だった(ヨーロッパむけシルクの輸出は重要視された)。

日本が韓国を植民地化したのは1910年(日韓併合)、明治以降のことである。

強制連行した時期は、日中全面戦争時、主に太平洋戦争時だったかもしれない。

しかし、韓国の植民地時代は連続しており、そのことによって強制連行も可能であった。

ならば、時期が違うと説明文を拒み、

「韓国が牽制している」と、ナショナリズムや嫌韓をあげるのは筋違いではないかと思う。 

私は、近い過去の歴史を事実どおり知りたいと思うし、

そのような施設にすることで世界遺産としての価値が上がるのだと思う。(伊丹市M)